BIOGRAPHY & Words
2歳のころに神経線維腫症1型(NF1)と診断された高橋さん。
病気への不安や、手術への憂鬱感はあったとのことですが、信頼できる医師とともに、前向きに挑戦を続けていらっしゃいます。
高橋 悠人さんのことば
NF1は一生付き合っていく病気ですので、信頼できる医師に定期的に診てもらい、相談することが大事だと思います。ためらうことなくセカンドオピニオンを受けてみることも、自分に合った医師と出会うきっかけになるでしょう。
そして、何よりも病気を言い訳にせずに何事もやってみる気持ちを忘れないように過ごしてください。前向きな気持ちこそ、人生を明るく照らしていくと思います。
孤発性のNF1患者さん
高橋 悠人
さん(仮名)
20歳代 男性
感じていた違和感、つながる点と点
母から聞いた話では、もともと生まれたときには、神経線維腫症1型(NF1)患者によくあらわれるカフェ・オ・レ斑や顕著な腫瘍などは、多くなかったそうです。ただ、左目に比べて右目が非常に大きくて、眼圧も高く、先天性の緑内障とだけ診断されていたと聞いています。結論から言うと、緑内障を引き起こしていた根本の原因はNF1だったのですが、当時はまだわかっていませんでした。
NF1と確定診断を受けたのは2歳のときだったと聞いています。きっかけは、セカンドオピニオンでした。当時、緑内障の手術のために通院していた病院で「現状の医療では治らない」と言われ、セカンドオピニオンを求めた母は、県外にある目とその周囲を専門とする眼科形成外科を探し出し、受診したそうです。その先生がNF1のことを知っていて、様々な検査を受けて確定診断に至りました。とはいえ、私自身はまだ2歳だったので、病気の認識は全くありませんでした。
その後、4歳のときに右眼球を摘出しました。両親は摘出には強い抵抗があったようですが、医師が「自分の息子なら、眼を取ります」と言ったことで、決断したと聞いています。摘出後に、「なんで自分には右目がないのだろう」と幼いながらに不思議に思っていたように記憶しています。5歳ごろになると叢状神経線維腫(そうじょうしんけいせんいしゅ、PN)という体の深部にできる腫瘍があることが判明し、それからは1~2年に1度の頻度で手術を受けるようになりました。小学生になった私もさすがに「なにか重い病気なのかな?」と思うようになりました。両親と主治医は、私にいつ病気のことを話すかをずっと考えていたようですが、私は思いがけないタイミングで自分の病気を知る事になったのです。それは小学6年生の夏、手術の準備の際に偶然が重なって、主治医ではない先生から、NF1という病名や難病であること、一生付き合っていく病気であることを聞いたのです。
今思えば、点がすべてつながり、線になった、そんな感覚でした。
重要なのは、信頼できる医師
「自分は病気だ」ということは子どもながらに薄々気がついていましたが、思っていた以上に重そうな病気でしたし、一生付き合っていかないとならない病気だということもわかり、とてもショックを受けたのを覚えています。「これから自分はどうなるんだろう」と考えると眠れなくなることもありました。
今ではすっかり前向きに病気と向き合えている私ですが、その大きな要因の1つに、信頼できる医師の存在があったと思います。突然の告知を受けた日から約1年をかけて、主治医の先生は改めてNF1はどういう病気か、どういう危険性があるか、今後どうしなくてはいけないか、私が納得するまで詳しく教えてくれました。また、不安な時は、親身になって私の話を聞いてくれましたし、将来の進路についてもアドバイスをくれました。私自身が悲観的になりにくい性格ということもありますが、主治医を含め複数の先生方のフォローもあって、病気にきちんと向き合えるようになったと思います。
治療の初期は、眼球摘出の是非に関して言葉を濁す先生がいたり、背中にあったPNを「脂肪の塊だから摘出の必要はない」と判断した先生もいたようです。よりよい選択肢はないか、その判断は正確なのかと、セカンドオピニオンを積極的に求め、信頼できる先生を探してくれた母にはとても感謝しています。
NF1は根本的には治らない病気と知って治療をあきらめてしまう、悪性腫瘍を生じやすいというリスクを医師から十分に伝えられておらず通院をやめてしまう患者さんも多い、と聞いています。私は今現在、症状も落ち着いてきていますが、先生方から私自身が納得できるまでこの病気のことを説明いただいたおかげで通院を継続していますし、定期受診の重要性も理解しているつもりです。NF1という病気を正しく知るためだけではなく、信頼できる医師に抱えている症状や不安を話してみることが精神的にも肉体的にも重要ではないかと思います。
病気は個性、前向きに挑戦を
NF1と付き合っていくうえで、つらいなと思うことももちろんありました。小学生から中学生にかけて、背中の痛みが強くなって学校を休むこともありましたし、その後行った手術のリハビリも大変でした。他にも、目やPNの手術で夏休みなどに長期間病院で過ごさなければいけなかったことはつらかったですし、片目がないことをめずらしがって接してくる人もいました。一部の学校行事に参加できないことも悔しかったです。
このような経験をしてきた私だからこそ、NF1とともに生きていくには悲観的になり過ぎない、前向きにできる範囲で挑戦していくことが大事だと思っています。NF1は、生活のすべてが制限されるような病気ではないと考えています。
実際、私は片目がないので距離感が掴みにくいのですが、学生時代は体育の授業にも参加していましたし、テニス部の活動も最後までやり通しました。今でも、テニスは趣味として続けています。
例えるのであれば、病気は個性のようなものだと考えています。病気の有無に関わらず、運動が苦手な人、勉強が苦手な人など、さまざまな人がいます。「病気だから…」とあきらめるのではなく、NF1という個性を踏まえた上でどう挑むか、その前向きな姿勢が大事だと思います。
前向きな姿勢が育む、人間関係
私の周りの人たちは、私が前向きに病気と向き合い何事にも挑戦している姿をみているためか、病気のことを忘れるほどに自然に接してくれる方が多いです。ある友人は、「今度の誕生日プレゼントに格好いい眼帯を買ってくる」と言ってくれるくらいに私の目のことを1つの個性だと思っているようです。私自身も、病気に配慮して接してほしいわけではないので、この心地よい距離感をうれしく思っています。
家族も友人達と同じように接してくれています。「NF1だからできないでしょ?」ではなく、「病気を言い訳にせずにやってみよう」と後押ししてくれるので、ありがたく感じています。
巡りあわせがよかったこともあると思いますが、病気に対する前向きな姿勢が今の私自身の周囲の環境を作っているのだとも思います。
将来の夢は
現在は大学の薬学部に在籍しており、将来的には、研究職もしくは薬剤師として、医療に携わっていきたいと考えています。
また、NF1と付き合ってきた者として、自分の生き様のようなものを発信していく機会を作っていきたいと思っています。インターネットで調べると、大きなPNがある重症患者さんの情報がでてきて、悲観的になってしまう患者さんもいると聞きます。私もインターネットでさまざまな情報を見ていますが、他のNF1患者さんが前向きな発信をしていると元気が出ます。
私からの発信を見たときに、他のNF1患者さんが「こういう考え方もあるのか!」と思っていただけるような情報を発信していきたいです。
神経線維腫症1型(NF1)は、個人差はあるものの、年齢が上がるにつれて全身にさまざまな症状があらわれる可能性のある病気です。中には叢状神経線維腫のように、腫瘍の増大に伴って動作や体の機能に障害を引き起こし、時に命に関わるリスクを含んだ症状もあります。このような状態にならないためにも、定期的に医師の診察を受け、ご自身の今の状態を確認することが大切です。
NF1の影響で、つらい経験をしたり、日常生活に制限を感じている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、最初から「できない」と諦めるのではなく、「やってみたらできるかもしれない」「どうすればできるのか」と考えてみることも大切です。私たち医師も皆さんと共に最善の方法を考えていきたいと思っています。どんな些細なことでも構いませんので、ぜひお気軽にご相談ください。
センター センター長
佐谷 秀行 先生
総合監修
福岡大学医学部 皮膚科学教室 教授
今福 信一 先生
1991年3月九州大学医学部を卒業。九州大学医学部附属病院 皮膚科学教室医員、メリーランド大学医学部 ウイルス学研究員、国家公務員共済新小倉病院 皮膚科医長、九州大学医学部 皮膚科教室助手、広島赤十字・原爆病院 皮膚科・診療部長、九州大学医学部 皮膚科教室助手・病棟医長、北九州市立医療センター 皮膚科・主任部長を経て、2007年4月福岡大学医学部 皮膚科学教室講師、2009年4月同大学 准教授、2014年4月同大学 教授、現在に至る。
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