BIOGRAPHY & Words
高校生の頃に神経線維腫症1型(NF1)と診断された大河内さん。
その後、悪性末梢神経鞘腫瘍(MPNST)を発症し、手術も受けるなど大変なご苦労をされましたが、病気を受け入れ前向きに過ごしていらっしゃいます。
そんな大変な思いをされても前を向き続ける大河内さんに、NF1と生きるために重要なことを伺いました。
大河内 愛美さんのことば
神経線維腫症1型(NF1)は難病ですので、自分がNF1だと受け入れ難い方はいらっしゃると思います。しかし、ご自身がしっかりと受け入れた上で生きていないと、周りの方もNF1という病気を悲観的に捉えがちになってしまいます。難しいことというのは私も経験者なのでよくわかっているつもりですが、前向きに病気に向き合うことが、充実した日々への第一歩だと思います。
もちろん心構えだけでなく、病気へのケアも忘れないでください。私自身はNF1に関連する症状で本当に大変な思いをしました。そのうえで、NF1と生きていく際に一番大事なことは、NF1を専門として診ている医師に定期的に体の状態をチェックしていただくことだと考えています。今は問題ないし別に受診する必要を感じない、と考えている方もいらっしゃるかもしれませんが、ぜひ未来のご自身のためにも受診することをお勧めします。
孤発性のNF1患者さん
大河内 愛美
さん
30歳代 女性
叢状神経線維腫(そうじょうしんけいせんいしゅ、PN)とは?
体の内部にできた神経線維腫が集まり、大きなかたまりとなったものを「叢状神経線維腫(PN)」といいます。体の表面に盛り上がってきて見つかる場合もありますが、体の内部にありMRIなどの検査をしないと見つけられない場合もあります。PNは、大きさやできる場所によっては、痛みや体の機能の障害(運動への影響、呼吸への影響、視力への影響、排泄への影響など)を引き起こします。また、PNは良性腫瘍ですが、悪性腫瘍(悪性末梢神経鞘腫瘍)に変化する可能性があります。
悪性末梢神経鞘腫瘍(あくせいまっしょうしんけいしょうしゅよう、MPNST)とは?
NF1患者さんで発症しやすい悪性腫瘍のひとつです。PNから変化する場合と、そうでない場合があります。基本的な治療は手術ですが、腫瘍の周りも含めて大きく切除する必要があるため、難しい場合もあります。また、他の場所に悪性腫瘍が増える(転移する)スピードが通常より早いと考えられているので、早期に発見することが大切です。
はじめに
私はガラス作家をしています。きっかけは小学6年生のときに見たテレビ番組でした。その番組で紹介されていたガラス作家という職業に心惹かれ、幼心に「これだ!」と感じたことを覚えています。小学校の卒業文集にも、「ガラス作家になりたい」と書いたほどでした。夢を叶えることができ、今は本当に充実した日々を過ごしています。
しかし、ここまで順風満帆な人生であったかというと、決してそうではありませんでした。当時はNF1の症状とは知りませんでしたが、小学校・中学校の頃は病気の症状でいじめを受けてつらい思いをしました。また社会人になってからは、MPNSTを発症し、大手術を行いました。術後、回復するまでの間、ガラスから離れることを余儀なくされ、何度も心が折れそうになりました。
今回は、私がNF1と生きるうえで、重要だと考えていること、意識していることをお伝えできればと思います。
生まれつきと聞いていたのに、まさか病気だなんて……
初めてカフェ・オ・レ斑が出てきたのは生まれてすぐだったと聞いています。小さい頃から体にシミのようなものが多くあり、とても気にしていたのですが、両親からは「生まれつきあるんだよ」と言われていて、両親も私も病気だとは思っていませんでした。小学校の中学年くらいからは皮膚の神経線維腫も現れ始めましたが、学校の健康診断などでも何か言われることはなく、状況は変わりませんでした。
「もしかしたら病気かも?」と気づいたのは、高校生になってからです。携帯電話を買ってもらったので、カフェ・オ・レ斑など自分の症状を調べてみた際、「これ、私に当てはまっているかも」と思う病気がありました。それがNF1だったんです。「難病」と書いてあったので、とても不安になりました。母に相談し、近所の医療機関を受診して、確定診断を受けました。
生まれてからずっと、生まれつきのものだと思っていましたし、健康診断などでも何も言われなかったので、実際に診断されたときは「病気だったのか……」という、不安が混ざった困惑のような感覚でした。小学校、中学校と、カフェ・オ・レ斑や皮膚の神経線維腫が原因でいじめを受けた経験があるので、もっと早く病気だとわかっていればきちんと説明できたのに、と今では思います。
命に関わる可能性のある病気だなんて知らなかった
難病ということで、非常に心配していたのですが、病気に関する説明はあっけないものでした。医師からは、「治る病気ではないけれど、命に関わる病気ではない。カフェ・オ・レ斑や皮膚の神経線維腫は、もし今後気になったら対処しようか」程度の説明があっただけだったんです。「本当に大丈夫かな?」と思いつつも、忙しかったのと、「なんとかなるでしょ!」という楽観的な性格も相まって、診断後に病院を受診することはありませんでした。
転機が訪れたのは、24歳の頃でした。仕事も独立し忙しい日々を過ごす一方、腰の痛みに悩まされることが多くなりました。車を運転しているときに痛みが強くなったり、一晩中眠れないくらいずきずきと激しく痛むこともありました。湿布を貼っても全く効かず、「何なんだろう」と違和感は覚えていましたが、姿勢を変えれば痛みが治まる場合や、そもそも痛み自体全くない日もあり、受診しようとは考えていませんでした。
受診のきっかけは、ブログを経由してレックリングハウゼン病※の患者会の代表の方から連絡をいただいたことです。後日、実際にお会いすることになったのですが、腰の痛みの話をしたところ、受診を勧められました。また、そのときに初めて、NF1の患者さんはPNやMPNSTなどを発症しやすいことを教えていただきました。更にきちんとした話を聞くためにはNF1を専門のひとつとする医師のいる施設を受診した方がよいとのことでしたが、心当たりがなかったため、代表の方に紹介していただき、その施設を受診しました。NF1と診断されてから、NF1を専門のひとつとしている医師に診ていただくまで、実に10年近くかかったことになります。その施設で精密検査を受けた結果、腰の痛みの原因はMPNSTでした。
「NF1は命に関わるような病気ではない」と思っていた私にとって、悪性の腫瘍ができたという事実は衝撃でした。NF1患者さんは、PNやMPNSTになるリスクがNF1でない方と比べて高いので、定期的な通院をして体の状態を確認する必要がある病気だと、丁寧に教えていただきました。
ここまで大ごとになる前に対処できれば……
MPNSTがあると診断され手術が決まるまでは約3か月程度だったと記憶しています。手術は非常に大掛かりでした。腫瘍ができた場所が脊椎だったので、腫瘍を簡単には切除できなかったのです。腫瘍を取りきるために背骨を切ったり削ったりし、神経も一部切ったと聞いています。今でも、背中にはボルトが7本も入っています。
術後も大変でした。痛みももちろんですが、放射線治療も受けましたし、コルセットで体を固定した生活で運転ができないため出かけられず、加えてコロナ渦真っただ中だったので人にも会えずでかなり気が滅入りました。大好きなガラスにも携われず、家でずっとライブ配信をしたりSNSなどでコミュニケーションをとるのだけが生きがいでした。手術から1年半ほどして、ようやくコルセットが外れ、少しずつ日常を取り戻しはじめました。仕事にも復帰できました。ただ、体の中にボルトが入っているので「これやって大丈夫かな?」と、少し遠慮がちになっていたり、以前より疲れやすくなっている気はします。
何より大事なのは、専門の医師に定期的に診ていただくこと
今では問題なく日常生活を過ごせるくらいに回復しましたが、MPNSTまで発症して本当に大変な思いをしました。そういった経験を踏まえて、NF1と付き合っていくうえで一番重要なことは定期的にNF1の専門医を受診して体の状態を確認してもらうことだと痛感しています。もし初回に受診したときにこの病気のことをもっと詳しく知ることができていたら……そうでなくても油断せずに自分でNF1の情報を収集してリスクを把握していたら……定期的に受診をしていれば……状況は変わっていたかもしれません。
以前の私と同じように、見た目以外で困っていないから受診はしなくていいや、と考えている方も少なくないと思います。しかしながら、私の腰の痛みがMPNST由来だったように、今感じている違和感や体の不調の根本的な原因は実はNF1だった、ということもあるかもしれません。今一度、専門の医師に診ていただいたうえで、今後についてアドバイスをもらってみてはいかがでしょうか。
私のこと、病気のこと、知ってください
より多くの方に病気のことを知ってほしいのと、病気と向き合う私自身を皆さんに知ってほしいので、私は自分の病気を公表・発信しています。発信を始めるようになったきっかけは、私自身が発信を通して奇跡的な経験をしたからなんです。
病気とは全く関係ないのですが、大東駿介さんという俳優さんのSNS に、昔から応援していることやガラス作家をしていることをコメントしたことがあるんです。そうしたら、私の投稿にリアクションしてくださって。そのときはそれで終わってしまったんですが、翌年にいろいろご縁があって、実際に会って自分の作品を渡すことができました。作品をすごく褒めていただいて、「応援してます」とも言っていただけたので、その日は一生の思い出に残る大事な日になりました。そうして私は、「発信すれば夢は叶う」と考えるようになりました。病気の発信を始めたのもそれが大きなきっかけになっています。
先程ご紹介した、ブログを見てレックリングハウゼン病の患者会の代表の方が連絡してくださったことも、発信を続けていて良かったと思うことのひとつです。あの連絡がなかったら、MPNSTの発見がさらに遅れ、もっと大変なことになっていたかもしれません。大東さんとの出来事に続き、二度目の奇跡だったと今では思っています。
自分の生き様を別の形で伝えたいとも思い、ブログでの発信に加えて、2022年には、Beauty Japanという日本女性の美しさを評価し、社会でより活躍できる女性を発掘するコンテストにも出場しました。結果から言うと、Beauty部門でエリアグランプリを獲得することができました。コンテストの内容としては、外見ではなく内面の美しさを競うものです。私のエリアでは90秒のスピーチと3分のプレゼンでした。審査を通過しなければプレゼンすらできない、という状況でしたが、何とかプレゼンまで進むことができました。プレゼンにおいては、「病気があってつらいことはいくつもあったけれど、前向きに病気に向き合って自分を偽らずに発信してきました。だからこそ今の私があります。皮膚にある症状や手術の跡を隠さずにドレスを着ている私自身を皆さんに見ていただきたいです。これこそが、私の生き様であり、心の美しさです。」と会場の皆さんにお伝えさせていただきました。3分という限られた時間で伝えるのは非常に難しいものでしたが、大トリを任せていただいたうえに、温かい声援、さらにはグランプリまでいただき、私の生き様をきちんと伝え、会場の皆さんに認めていただけたことにとても安堵したことを覚えています。
発信を通して、以前よりも前向きに生きられるようになりました。NF1は難病で、どうしても悲観的になりがちだと思います。私の場合は、NF1という病気、そしてそれとともに生きている私を知ってほしい、人に伝えていきたいと思い、発信を始めました。その発信を通して病気を受け入れ、病気への理解を深めたことが、前向きに向き合えるようになった大きな要因です。そういった心持ちで人と関わるようになったら、周りの人も病気のことを気にせずに接してくれるようになったと感じています。本人が気にしすぎていると、周りもどう接すべきか考えてしまうのではないでしょうか。だからこそ、正しい知識を持ったうえで前向きに病気を受け入れることが重要だと感じています。
皆様がNF1と前向きに向き合えることを願って、私も発信を続けていきます!
最後に
これからの個人の目標としては、デジタルでの情報発信だけでなく、学校など対面の場で講演をしてみたいと考えています。同じ病気じゃなくても、悩んでることがある学生や不登校の子たちにも、「私もつらい思いはしたけれど、こうやって生きているよ、こういう生き方があるよ」というのを伝えていきたいです。
最後になりますが、NF1の疑いがある、もしくはNF1の確定診断を受けている皆さんにはぜひ専門の病院へ行っていただきたいです。私が経験したような大ごとに至らないために一番重要なことは、定期的に受診して状態をチェックし、早期に対応することだと痛感しています。何も異常がなければ、それだけで安心できますし、その安心感には大きな意味があると思います。ぜひご自分のために一歩を踏み出してください。また、難病だからと悲観的になり過ぎないようにしてください。前向きに向き合えば、周りの方も含めて、状況は必ず変わってくると思います。
神経線維腫症1型(NF1)の患者さんには、外見的なストレスの原因となるカフェ・オ・レ斑や皮膚の神経線維腫だけでなく、日常生活の動作や質に大きく影響を与える症状が現れることがあります。そのひとつが、叢状神経線維腫(そうじょうしんけいせんいしゅ)とよばれる、体の内部にできる腫瘍です。この腫瘍は良性腫瘍ですが、大きさや発生場所によって、痛みや運動障害などを引き起こすことがあります。また、NF1の患者さんは、NF1ではない方と比べて、悪性腫瘍を発生するリスクが高いことが知られています。こういった症状にいち早く気付き、治療を開始するためには、定期的に専門の病院を受診し、ご自身の状態をチェックすることが重要です。NF1患者さんとして生きる上で、ご自身やご家族だけでは解決が難しい悩みもあると思います。私たち医師も、患者さんの力になりたいと考えておりますので、小さなことであってもご相談ください。状態のチェックだけでなく、そういったお悩みの相談も兼ねて、ぜひ定期的に受診していただければと考えています。
リハビリテーション科 教授
西田 佳弘 先生
総合監修
福岡大学医学部 皮膚科学教室 教授
今福 信一 先生
1991年3月九州大学医学部を卒業。九州大学医学部附属病院 皮膚科学教室医員、メリーランド大学医学部 ウイルス学研究員、国家公務員共済新小倉病院 皮膚科医長、九州大学医学部 皮膚科教室助手、広島赤十字・原爆病院 皮膚科・診療部長、九州大学医学部 皮膚科教室助手・病棟医長、北九州市立医療センター 皮膚科・主任部長を経て、2007年4月福岡大学医学部 皮膚科学教室講師、2009年4月同大学 准教授、2014年4月同大学 教授、現在に至る。
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