支えてくれている人の存在を知ることが、病気と向き合っていく原動力に
NF1と診断された、あるいはNF1が疑われる。こうしたとき、患者さんやご家族はさまざまな戸惑いや困難に直面します。そんな場面で、みんなはどのような経験をしてきたのだろう。どうやって乗り越えたのだろう……それらの疑問に答えるべく、患者さん・ご家族が自らの体験を語る本コーナー。前編・後編の2回にわたって、ある女性患者さんの体験を紹介します。
ー語ってくれた人
20歳代女性患者さん
生後3か月でNF1の診断を受ける。大学で国際関係を学んだ後、キリスト教会の牧師を目指して別の大学へ進学。大学院を経て、現在は牧師として活動中。
ー語ってくれた人
患者さんのお母様(40代)
患者さんご本人は10歳で小学5年生(2021年12月現在)。生後4か月にNF1を疑う症状で受診し、1歳前に確定診断を受ける。
病名を検索し、「未来へのショック」を受ける
私がNF1と診断されたのは生後3か月です。4歳か5歳頃から顔にびまん性腫瘍ができるようになり、整容上の問題を抱えることになりました。ただ、その頃の私は病気のことはさほど気にはしていませんでした。とはいえ、周囲の友人からは何気なく「どうしたの?」「目が腫れているけど、けがをしたの?」などと言われることがありました。そういった経験が積み重なって、小学生になる頃には周囲の目を気にする、おとなしい性格になっていました。
小学校では普通に過ごしていました。葛藤があったのは体育の時間です。そもそも運動が苦手だったからかもしれないのですが、当時は、運動をするために髪の毛を束ねたりピンを止めたりということにためらいがありました。水泳の時間も髪の毛をあげてキャップをかぶるので、気持ちはどうしても後ろ向きになっていました。
逆に好きだったのは、絵を描くこととピアノなどの音楽です。おそらく両親は私に、「好きなことをもっと好きになってもらいたい」という願いがあったんだと思います。ピアノ教室に通わせてくれ、好きな曲の楽譜を買ってくれるなど、積極的にサポートしてくれました。
小学生時代の忘れられない出来事は、自分の病気についてはっきりと認識したとことです。6年生のときのことで、学校へ提出するプリントに病名が書かれていました。当時の私はすでに携帯電話を持っていたので、病名を自分で検索してみたんです。すると、治療法がない病気だという情報が飛び込んできて……。それまでは、「いずれ治るだろう」「手術すれば治るだろう」という気持ちがあったんです。でも、それは叶わぬ思いだとわかってしまいました。「未来に対するショック」と言える出来事だったと思います。
好きなものに熱中することで、自らを解放した中学・高校時代
小学校以来、「自分は周りとは違う」「自分は周りよりも劣っている」という気持ちをずっと持っていました。さらに中学・高校時代は、病気と向き合いたくないという気持ちが強かったです。そんな私の意識を病気から解放してくれていたのが、興味を持ったさまざまな分野での活動です。
中学・高校では合唱団での活動に熱中し、そのかたわらで「インターアクトクラブ」という中高生を中心に組織された社会奉仕団体に所属し、ボランティア活動や国際交流にチャレンジしました。これらの活動をしているときは病気のことを意識せずにいられましたし、「これが私なんだ」という“自分らしさ”を感じることができました。
もう1つ熱心に取り組んだのが勉強です。勉強を頑張るとそれは成績という結果であらわれますし、頑張っていることを家族など周りの人たちが認めてくれます。それをとても嬉しく感じました。いま思うと、このころはまだ病気も含めた自分自身を認めてもらう努力まではできなくて、「成績が良くてほめられる」という評価を求めた努力をしていたのかもしれません。
友だちからの初めてのお見舞いで、周囲からの支えを実感
大学は国際系の学部に進学しました。韓国への留学も経験し、病気のことを忘れてしまうぐらい充実した時間を過ごすことができました。
大学時代に思い出深いのは、3年生のときに受けた手術に関する出来事です。中学2年生のときから手術は何度か受けてきましたが、それまでは全て友だちのお見舞いを断っていました。手術後は心も体もすごく弱ってしまうので、そうした姿を友だちに見られたくないという思いがあったのです。
大学3年生で受けた手術のときも、初めのうちは同じようにお見舞いの申し出を断っていました。ところが「ぜひお見舞いに行きたい」という友だちがいてくれて、「そこまで言ってくれるなら」という感じで来てもらうことにしたんです。
ところが、いざ友だちが来てくれると、とても嬉しかったのです。特に何かについて話したわけではなく、いつものようなやり取りをしていただけなのですが、「支えてくれる人がいる」ということを強く感じることができました。また、弱っているときに支えてもらえることのありがたさを、以前にも増して感じるようになりました。
こうした経験もあって、大学を卒業する頃には自分なりに病気との折り合いがついてきたように思います。「この病気と生きていくならば、少しでも生きやすくありたい。そのためにはどうすればいいだろうか」ということを考えるようになりました。
話は少し戻りますが、大学進学にあたっては志望校を病気のせいで諦めるという経験もしました。その大学は水泳の授業が必修だったのです。当時の私にとって、それは進路決定を左右するほどの大問題でした。しかし、今の私がもし当時の自分と話せるのであれば、「そんなことで諦めないで」とアドバイスするでしょう。そして「水泳の授業が嫌なのはわかるけど、それを補って余るほど、病気やあなた自身を理解して支えてくれる友だちや先生たちに出会えるよ」と背中を押してあげたいと思います。
生きやすい社会づくりのために、情報を発信していく
現在は年に1~2回のペースで受診し、MRI検査により体内に腫瘍ができていないかを中心に調べています。主治医の先生からは、「自分で触れて、皮膚の表面やその下のできものが大きくなった気がする、あるいは痛くなるということがあれば、すぐに病院に来て」と言われています。腫瘍が急に大きくなることは悪性化のサインです。日常生活で気をつけているのはそれぐらいで、その他にはほとんど何も意識していません。
仕事については、念願の牧師になることができました。しかし、それまでは職業選択の不安がずっとありましたし、いまも恋愛や結婚については不安だらけです。でも、現在の私は「病気や私自身に向き合い、寄り添ってくれる人がいる」ということを知ることができ、そのことが嬉しくて、支えになっています。だからこそ、少しでも多くの人にNF1のことを伝えていきたいのです。病名を知ることで「どんな病気なんだろう」と思って調べてくれる人も出てくるでしょうし、理解を深めてくれる人も出てくるはずです。その結果、患者さんやご家族が生きやすい世の中になればいいなと考えています。
私は今、牧師という、人と喜びや悲しみを分かち合える仕事に就いています。病気のために辛いことも経験してきましたが、そんな私だからこそできることがきっとあるでしょう。これからも私は、“私らしく”多くの人たちの支えでありたく思っています。
私を支えてくれた、さまざまな人との触れ合い
中学2年生のときに初めて手術を受けました。内容は、全身麻酔で左顔面の腫瘍を減量するというもの。2週間ほどの入院を要しました。このとき、肉体的な痛みはもちろんですが、精神的にも非常に大きな痛みを生じたのです。「どうして私はこんな辛い目に遭わないといけないの?」という思いがこみ上げてきて、心にぽっかりと穴があいたような気持ちでした。
そんな私の支えになってくれたのが、主治医の先生や看護師さんです。病室に足を運んでいただいて何気ないひと言をかけてもらうだけで、「誰かがそばにいてくれている」と感じることができ、とても嬉しく思いました。もちろん家族も同じです。辛いときだからこそ一緒にいてくれることで、「自分は1人で生きているんじゃない」と感じることができました。
本や映画、漫画から励まされることも多くあります。例えば、『5万人に1人の私~トリーチャー・コリンズ症候群に生まれて~』というドキュメンタリー番組*1で紹介された山川記代香さんの強く生きる姿には、とても感銘を受けました。また、生まれつき顔にあざを持つ女子高生が主人公の恋愛漫画『青に、ふれる。』*2には、「私は1人じゃない」と勇気づけられました。
両親がクリスチャンだったこともあり、私は子どもの頃から教会に通っていました。教会には、年齢も性別も人生経験もさまざまな人が集まります。一方、学校のように同世代だけが集まる場所では、どうしてもトラブルやストレスが生じて心が不安定になることがあります。私は教会という、学校とはまったく違う人たちが集まる場所と触れることで、不安定になった心を回復することができました。また、キリスト教の教えにある「神様は人を愛してくれている。尊い存在として見てくれている」という考え方にも支えられました。
「生まれつきの病気」と伝えるかたわらSNSでも情報発信
友だちの中でも、病名まで伝えているのはごくわずかです。ほとんどの人には「生まれつきの病気なんです」と伝えるだけで、それ以上の説明などはしていません。私が経験した限りでは、それで支障が生じるようなことはありませんでした。
最近は少し考え方が変わってきて、病気のことを少しでも知ってもらいたいと思うようになりました。NF1に伴う私たちの悩みや葛藤を知ってもらえるだけでも、接し方やコミュニケーションの在り方がずいぶん変わると考えたからです。そこで、いまはSNSでも情報を発信しています。
実際、多くのNF1の患者さんやご家族がSNSで情報の発信や交換をしています。当事者としての体験を通じて真剣な姿勢で向き合い、行き交う情報もより充実しているように思います。また、互いを励まし合うなどのコミュニケーションがとれる点も、SNSならではの大きなメリットだと感じています。
誠実に向き合えたきっかけは、自身と病気の折り合い
これまで私は何度となく病院を変えてきましたが、これは主治医の先生との向き合い方に誠実さが欠けていたと感じていて、今は大変申し訳なく思っています。
なぜそうなったのかを振り返ると、私自身が病気を受け入れきれず、生き方との折り合いをつけることができていなかったからでしょう。「どうしても治したい」「なぜ治せないんだ」という思いが強すぎて、病気を克服できないことへの怒りや不安の矛先が主治医の先生に向いてしまったのです。そして、「この病院ではだめでも、ほかの病院なら治せるかもしれない」という考えから病院を変えるという行動に走っていました。こうした考えや行動はなかなか落ち着かなかったのですが、大学を卒業する頃は病気への理解も深まり、次第に主治医の先生と誠実さを持って向き合えるようになりました。
病気を含めて、必ず私を受け入れてくれる人がいる
恋愛や結婚は、一生無縁だと思っていました。気持ちを伝えることにためらいがあるし、そもそも私を好きになってくれる人なんていない。以前はそう考えていたのです。
しかし、今は「それって違うのかもしれない」と感じるようになりました。
もちろん不安はあります。ですが、病気も含め私の全てを見つめてくれる人は必ずいる。そう信じて、将来を考えるようにしています。
(2021年12⽉に取材)
(解説)
*1:2016年にNNN系で放映。「トリーチャー・コリンズ症候群」の女性患者を取り上げたドキュメント番組
*2:鈴木望による月刊誌連載中のコミック。「太田母斑」を持つ女子高生を主人公とした作品