自宅から片道約1時間のキャンパスに通う、大学3年生の橋本紗希さん。大学と並行して専門学校でも学ぶダブルスクールで、夢の実現に向けてがんばる日々です。
「痛みは落ち着いているし、体力もついてきたんでしょうね。ほんとうに、よくここまで来れたなと思います」
紗希さんにやさしい眼差しを向けながら、母、明美さんは言います。これまでの道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。
紗希さんを出産後、明美さんは、紗希さんの体に褐色のあざがあることに気が付きます。
「先生や看護師さんに『このあざは何ですか?大丈夫ですか?』と尋ねましたが、はっきりした答えはいただけませんでした。あざは1、2個でしたし、『蒙古斑なのかな』と」
明美さんは、それ以上深くは考えなかったと言います。
しかし、あざは退院後も少しずつ増えていきます。3ヵ月健診で「何か病気かもしれないですね」と大学病院を紹介され、言われるままに受診しました。
伝えられた病名は神経線維腫症1型(NF1)、レックリングハウゼン病とも呼ばれる難病でした。明美さんは「難病」という言葉に動揺して、そのときのことは断片的にしか覚えていないと言います。
「私が抱いていた難病のイメージに、紗希は当てはまりませんでした。脚にあざがいくつかあるだけで、それを見て、詳しい検査をすることもなくいきなり『難病です』と言われても、すぐに自分事に置き換えることはできません。『そんなはずはない!』という認めたくない気持ちが強く、『診断は間違っている!絶対に難病なんかじゃない!』と、しばらく病院には行けませんでした」