当時の紗希さんの様子を、明美さんにうかがいました。明美さんが「どう痛いの?」と聞くと、紗希さんは「ズキズキ痛い」と答えたそうですが、どの程度の痛みなのかは、本人にしかわかりません。ただ、痛みに耐える紗希さんの姿から、身を削るほどの苦痛は明美さんにも伝わっていました。
「よく『苦痛に顔をゆがめる』と言いますが、まさにそのような顔をしていた紗希を見ていると、心が張り裂けそうでした。痛みはずっと続いているわけではなく、激しい痛みが数十分続いて、少し治まって、また始まって……を繰り返していました。痛みが長く続く日があれば、ちょっとましかな、という日もありました。痛みがいちばん激しいとき、息を止めて必死に耐えている姿を前に、何もしてやれない自分がほんとうに腹立たしかったです」
痛みの記憶はあまり残っていないと話す紗希さんも、寄り添ってくれた両親のことは覚えています。中学3年生のある日、特に激しい痛みに襲われていた紗希さんは、リビングのソファに横たわっていました。
「普通に座っているのもつらかったんだと思います。でも、父と母がそばにいて、手をぎゅーっと握ってくれていたこと、背中をさすってくれていたことは覚えています。当時は痛すぎて『ありがとう』も言えていなかった気がしますが、ほんとうに感謝しています」
夜、痛みで目が覚めるようになっていた紗希さんのために、ご両親はいろいろな可能性を探ります。紹介を頼りに、いくつもの病院を受診しました。自宅から遠く離れた病院を受診したこともありました。痛み止めは、紗希さんにとって最大限の用量まで処方してもらいましたが、痛みが治まる気配はありませんでした。ある病院で「これ以上の痛み止めは使えませんし、もう手立てがありません」と言われたとき、明美さんは絶望的な気持ちになりましたが、紗希さんには悟られないようにしていました。