痛みとともにあった学校生活 思い出されるのは修学旅行

左脚の数珠状の腫瘍を外科手術で切除できないのか、何人かの医師に尋ねてみましたが、多くの医師は「もし神経を傷つけてしまったら、障害が残るかもしれない」と否定的でした。画像検査の結果を確認するなり、明美さんと紗希さんの顔を見ることもなく「手術は無理です」とだけ告げた医師もいたと言います。「強い憤りを覚えましたが、何も言えませんでした。もう弱ってしまっていて」と、明美さんは語ります。


ただ一人、外科手術に対して前向きな見解を示した医師にも出会うことができました。「やっと紗希の苦しみが取り除けるかもしれない」と、希望を見いだせた瞬間でしたが、簡単な手術ではないため、相談を重ねた結果、手術は受けないことを選択しました。


さまざまな痛み止めを服用していた当時のことを、紗希さんは「薬がたくさんあって、飲むだけでしんどかった」と振り返ります。それでも「この子はほんとうにがんばり屋さんで」と明美さんが言うように、中学も高校も、体育はすべて見学、車いすや杖などを利用しつつも、通院などで仕方がないときを除いて極力休まないようにしていました。


「紗希が中学生から高校生の頃は私もいちばんつらかった時期で、毎日のように泣いていました。紗希のために何ができるかを考えて、してあげられることが少なすぎることに落胆する、そんな毎日でした」「心が折れそうになっていた私を支えてくれたのは、夫でした。『絶対大丈夫だから』と幾度も励ましてくれて、なんとか持ちこたえることができました」


親子ともつらい時期ではありましたが、紗希さんには楽しい記憶もあります。中学の修学旅行は、人気のテーマパークへ。痛む脚のため園内を友だちと巡ることはできませんでしたが、学校の先生方がそばに付き添い、いろいろな話をしてくれたのが楽しかったと言います。
高校の修学旅行は、北海道へ。痛みがやや治まっていた時期だったため、友だちとの観光を楽しむことができました。
「小樽で食べ歩きしたのを、よく覚えています」と、紗希さんは微笑みました。

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BIOGRAPHY & Words
生まれてすぐに見つかった、褐色のあざ 病気と認めたくなかった 小学6年生から痛み止めを服用も、治まることのない痛み 今、記憶に残っているのは寄り添ってくれた両親の姿 痛みとともにあった学校生活 思い出されるのは修学旅行 医師や学校の先生との出会いが支えになった 大学と専門学校のダブルスクールで勉強中 さまざまな時期を乗り越えて今、NF1とどう向き合うか