医師や学校の先生との出会いが支えになった

高校卒業後は大学進学を希望していたため、学校だけでなく塾もなるべく休まないようにしていた紗希さん。少しでも力になれればと、明美さんもできるかぎりのサポートをしていました。
親子のがんばりが実を結んで、紗希さんは大学に合格。別の治療を始めたことで痛みが落ち着いてきたこともあり、現在は自宅から片道1時間かけて大学に通っています。


さまざまな困難を乗り越えられた要因を明美さんにうかがうと「人との出会い、周りの理解」という答えが返ってきました。


特に印象に残っている出来事として、明美さんはある病院の医師の名を挙げて「初めて連絡を差し上げたのですが、症状を伝えると『それは大変だ。すぐに来なさい』と。翌日に受診すると、特別に手配してくださってその日のうちにMRI検査を受けることができました。紗希の状態に合わせて、日常生活で注意すべきことなども親身に教えていただきました。親子ともに最もつらく、誰を頼ればよいのかわからなくなっていた時期でしたので、救われました。これまでNF1について多くの先生方に相談してきて、『病院の先生は何でも知っていると思っていたけど、難病のことは知らない先生も多いんだな』と思うことがたびたびでしたから、余計に印象に残っているんです」と、振り返りました。


中学、高校の先生方にも助けられたと言います。小学生の頃、紗希さんの痛みはまだそれほど激しくなかったため学校には病気のことを伝えていませんでしたが、中学、高校では病気と症状、服用している痛み止めについて、学校に説明していました。痛みが激しいときには教室間の移動が大変であるためエレベーターの利用を許可してもらうなど、学校側の配慮もありました。「階段、段差があっても、男性の教員が補助しますから心配はいりません」と、担任だけでなく先生方全員で情報を共有しながら、紗希さんの学校生活を支えてくれたということです。


紗希さんは「いつも特別扱いされていたわけではありませんが、移動が大変だったり、荷物が多かったりしたときなどは、私からお願いするよりも前に誰かが補助してくれました。いつも気にかけてくださっていて、必要なときに手を差しのべるという対応が、とてもありがたかったです」と言います。


「ただ、悲しい思いをした経験もあります」と、明美さんは言います。「紗希が車いすで移動しているだけで、好奇の目で見られていると感じたことが、よくありました。もう少し理解のある環境になればよいのにと思います」

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BIOGRAPHY & Words
生まれてすぐに見つかった、褐色のあざ 病気と認めたくなかった 小学6年生から痛み止めを服用も、治まることのない痛み 今、記憶に残っているのは寄り添ってくれた両親の姿 痛みとともにあった学校生活 思い出されるのは修学旅行 医師や学校の先生との出会いが支えになった 大学と専門学校のダブルスクールで勉強中 さまざまな時期を乗り越えて今、NF1とどう向き合うか