小学6年生から痛み止めを服用も、治まることのない痛み

「そんなはずはない」と思いながらも漠然とした不安に包まれながら、時は過ぎていきました。紗希さんが3歳を迎えたときの健診では「周りの子よりも、発達が少し遅いようです」と指摘を受けました。明美さんの目には発達はそれほど遅くないように見えていたものの、念のために大学病院で検査を受けたところ「特に問題はなさそうです」と言われました。


その後、リハビリテーションセンターに何回か通いましたが、周りの子と同じように課題をこなせていたため「やっぱり診断は間違ってるんだ、紗希は病気じゃない」と、施設に通うことをやめました。病気ではないと思っていても、やはり気になり「少し、NF1について調べてみたことはあります。ただ、インターネットで検索すると、不安が大きくなってしまう情報のほうが多くて……。だから、なるべく情報にはふれないようにしていたんです」


小学2年生のとき、紗希さんの口から初めて「(あざがある)左膝が痛い」という言葉が聞かれました。病院で検査してもらいましたが、「成長痛ではないでしょうか」とのこと。そのときは納得したものの、紗希さんからの痛みの訴えは続きました。MRI検査で左脚の太ももから膝、ふくらはぎにかけて、神経に沿って数珠状にできる大きなかたまりになった状態の良性の腫瘍が見つかったのは、紗希さんが小学4年生のときでした。
小学6年生の頃からは小児科に加えて整形外科にも通い始め、痛み止めを処方してもらいますが、痛みはどんどん増していきました。


治まることのない痛みに耐えながら、中学受験に合格した紗希さん。「中学1年生のときに痛みを抑える強い薬を始めたのですが、それから高校3年生までの間が、いちばんつらかったかも」と振り返ります。どのような痛みであったかを紗希さんに聞くと、「うーん……」しばらく考え込んだ後、「どんなふうに痛かったのか、日々母に伝えていたと思うのですが、その頃の記憶はないんです……」

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BIOGRAPHY & Words
生まれてすぐに見つかった、褐色のあざ 病気と認めたくなかった 小学6年生から痛み止めを服用も、治まることのない痛み 今、記憶に残っているのは寄り添ってくれた両親の姿 痛みとともにあった学校生活 思い出されるのは修学旅行 医師や学校の先生との出会いが支えになった 大学と専門学校のダブルスクールで勉強中 さまざまな時期を乗り越えて今、NF1とどう向き合うか