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「心配はありません」担任の先生の言葉がありがたかった

亮さんの誕生から4年後、真由美さんは長女・茜さんを出産します。真由美さんの皮膚の神経線維腫はさらに増えてきました。また、生まれてきた茜さんの膝には生後1か月ごろからうっすらとカフェ・オ・レ斑がみられ、やがて背中にも目立つようになったため「この子も同じ病気なのだと思いました」。


茜さんには、背中から腰にかけての広い範囲にわたって、体の中からできてくるびまん性*の神経線維腫もありました。お兄ちゃんや友だちがふざけてたたいたりすると、痛くて泣いてしまうことも。茜さんは「ズキズキと、うずくような」と、その痛みを表現します。日常生活では、背中や腰になるべく物が触れないように過ごしていました。

  • 「びまん」とは、特定の1か所ではなく広範囲に広がっている様子を意味します。

真由美さんは母親として、できる限り茜さんを守ろうと努めました。
「当時の幼稚園では水遊びのとき、子どもたちはみんな上半身裸になっていました。気になった私は『日焼けが気になりますから』と申し出て、娘に上着を着せることを認めてもらいました。周りの子たちは不思議に思いますよね。それを聞いた親が『あの子はなんとかという病気らしい』と言っていたこともあったと聞きました。説明して回るわけにもいかないので、気にしないようにしていましたけど」


小学校では、茜さんの肌に生まれつきのあざがあることを担任の先生に伝えていました。保護者に対しては先生から説明してもらっていましたが、中には「プールでうつることはないんですか?」と心配する親もいたそうです。真由美さんは言います。「そのとき、先生から『そのような心配はありません』とはっきり言っていただいたことが、ありがたかったです」


茜さんは小学生の頃の思い出として「ドッジボールでは、ボールが当たらないように周りの子よりも必死に逃げていました。背中に当てられると痛いので」と語りました。子どもの頃の茜さんは、「どうせ原因がわからないなら、言っても仕方ない」と思い、神経線維腫に伴う痛みを自分から訴えることはあまりありませんでした。

Vol.3 トップ BIOGRAPHY & Words 顔に広がるあざに悩んだ、小学生の頃 病院から足が遠のいた、苦い経験 独自に調べて深めた知識 もし、いじめられることがあったら…… 自身の経験に基づく助言を送る 「心配はありません」 担任の先生の言葉がありがたかった 「やっとたどり着いた」確定診断 病気と向き合いながら救急救命士として働く 信頼できる医師のもと 「安心して手術に臨むことができた」 診断・告知のタイミングに正解はない 前向きに、幸せに生きてほしい